去る4月7日(金)に平成29年度入学式を挙行しました。
夜半の雨とあいにくの強い風で、前日まで満開だった桜の花びら舞う中の入学式でしたが、終わるころには青空が広がりました。72回生(創立以来72回目の入学生という意)120名があらたに仲間となりました。

方南通り側より 総合教育棟、体育館を望む
入学式 学校長のことば
新入生の皆様、保護者の方々、本日は本当におめでとうございます。来賓の方々もお忙しい中、ご臨席くださいまして、感謝いたしております。
東大附属は1948年、東京大学の教育学部よりも早く発足しております。創立以来、本校は教育の本質を見失うことなく、歩もうとしてまいりました。
本校では、1年生から6年生まで、自律性と共に、卒業論文の執筆に代表されるような、調べてまとめる力の育成に尽力をしてまいりました。自分の問いをみつけ、それを掘り下げてゆく卒業論文の研究は、直接的には5,6年で行ないますが、それ以前でも、1,2年の段階で図書館で調べたり、ITを用いたりというような研究の仕方や、3、4年での視点の広がりを支える課題学習等が組まれております。こうした機会を通して、自分が「パッション」、情熱を注げるものを見つけていただければと思います。
附属では、二年ごとに東大の教育学部の方から校長がまいります。私は教育の国際比較を研究している社会学者です。ここで、私事ではありますが、「パッション」についてのエピソードを一つ紹介させていただきたいと思います。東大の教養学部で以前、「なぜ自分は今の道を選んだのか」、みたいなテーマで教員が新入生に話す機会があった時に紹介した内容です。
私は大学院でプリンストン大学というアメリカの大学に留学しました。小学校の教育を研究したいというのは決まっておりましたが、それ以上の興味は漠然としておりました。関心が定まらないなら実際に学校を見て回るのが一番、と大学近隣の小学校をあちこち見学しておりました。ところが、最初、大学から紹介された学校はどれも、色々な条件に恵まれた郊外の「モデル校」的な学校で、大きな問題もなく日々が過ぎておりました。何に焦点を当てればいいのか、私は戸惑いました。
悩んでいたある日、転機が訪れました。貧困地帯の都市の学校に行ったのです。地域は荒れ、犯罪率が高いところでした。貧困と暴力のサイクルから抜け出す出口が見えない子ども達にとっては、3x3が9だ、等ということは、どうでもよいのだということをここで実感しました。自分や自分の家族の安全、生きてゆくこと、そうしたことの方がはるかにこれらの子ども達にとって目の前の問題として大事だからです。私は子ども達を見ながら、「これだ!」と思いました。「私にできること、すべきことがここにはあるのかもしれない」。こうした場でこそ、教育の真価が問われる。そうした思いは何十年たった今でも変わりません。
好きなことは続けられますし、打ち込むことができる。好きなことを見つけることは、やる気、持続力等の成し遂げる力が湧き出てくる「パッション」の泉を見つけることです。
この附属での六年間に、皆様それぞれの「パッション」の泉への道筋が見つかればよいと心から願っております。それを教員一同、支えてゆければと思います。
以上が私から新入生の皆様に贈る言葉です。
2017年4月7日 東京大学教育学部附属中等教育学校長 恒吉 僚子